2012年11月11日日曜日

食べ物の好き嫌いをなくすことは、そんなに大切か?

しばらく前に、日本のブログを見ていたら「(家族のある人は)○○が嫌いだから、小さく切って、他の材料と混ぜてしまう。いわなければ、わからないよ」というようなことが書いてあって、正直、すごくビックリしたことがある。

いや、正確にいうと、この人は、さらに、家族のもう一人の人に「だから、あなたも、○○が入っているなんて、あの人の前でいっちゃダメよ」とだめ押ししているのだ。

食物アレルギーなどの問題が、これだけ取り上げられている現代でも、こういう人っているんだ。こわい。

食べ物の好き嫌いは、必ずしもアレルギーなどの生理学的理由のせいではないだろうけど、遅延性アレルギーがあるために、本人は、なんとなくだけど避けた方がいいな、とわかっている場合って、結構あると思う。でも、食物アレルギーの大部分は、まだ診断されていないわけだからね、わかっていないことは、ないこと、と見なすことも可能なわけだ。(食物アレルギーに関しては、グルテンや、レクチンに関しても記事も見てね)

アレルギーでなくても、消化しにくい炭水化物の問題もあるし。

こういうことは、個人差があるから、大丈夫な人は、何ともない。でも、だからって、他の人も同じものを食べるべきだ、いや、だましてでも食べさせよう、っていうのは、ナンじゃないか。

さらにそこで「好き嫌いをしてはいけません」なんていう、大義名分をふりかざすなんて。

それも、こんなふうに、筋道たてて、自分の立場を防衛する能力のまだない、子どもに対してしたら、それは、立派な暴力だと思う。

。。。ってことを書くと、「でも、なんでも食べないと、栄養が偏るから」という人がいる。ほう。それなら、ごはんばっかり食べている日本人は、相当に栄養のバランスが崩れているはずだ。

栄養は、栄養素についてきちんを知って、食べられないものに多く含まれているはずの栄養素を、他の食べ物でとるようにすれば、偏らないでしょう。例えば、糖質として、穀物が一切食べられなくても、イモは食べられるなら、むしろ栄養的には、サツマイモの方が米や麦よりすぐれているから、いいくらいだ。イモもダメなら、他の野菜とか、果物という手もあるし。(そもそも、糖質をそんなにとる必要があるのかどうかも、疑問だけれど、それは、他の記事でもう書いたからね)

「でも、なんでも食べられる方が、楽しいでしょう」って?楽しいのは、本人が食べたいものを、おいしく、気持ちよく食べることでしょう。「好き嫌いをするのはよくない」というルールをおしつけられることの、どこが楽しいのか。(本人が、自主的に、いろいろなものを食べてみようとか、以前は嫌いだったものにもあらためて挑戦してみようとかいうのは、すばらしいと思いますが)

つきあい、ということを持ち出す人もいる。まあ、つきあいにもいろいろあるからね、本当は別に好きな相手じゃないけど、つきあっている場合は、同じものを食べることも必要なのかもね。

でも、わたしだったら、一緒に食事をする相手に、嫌いなものを食べるのをしいたりしないよ。自分がわざわざ作ったものでも、「これ、食べられないんです」といわれたら、「ああそうか」と思うだけで、別に気を悪くしたりしないし。(できれば、前もって、好みを教えてもらえると、ありがたいですが)

好き嫌いの問題で、唯一、問題なのは、そもそもいろいろな選択が与えられていない場合だ。これだけ、食べ物があふれている現代で、そんなことってあるのか、って思うかもしれないけど、実は、私たちの選択は、かなり限られている。いろいろあるのは、包装とか、ちょっとした味付けのバラエティにすぎない。

例えば、オーガニックの肉や乳製品を食べたことのない人って、結構いるんじゃないか。

スーパーで普通に売っている牛乳は「まずい」から嫌いな子どもでも、ちゃんと育った牛サンの乳なら、大喜びで飲むかも。(つまり、残留農薬とか、不健康な動物に蓄積された毒物の味に反応しているだけかも)

おとなは、「普通」の牛乳になれているので、味の違いがわからないのかも。そんな、わかっていないおとなが、わかっているつもりで、牛乳を飲むことを強要するなんて、なんか、残酷を通り越して、喜劇的だ。

これは、私がまだミルクを飲んでいた頃の話なんですが(まだ、オハイオにいた頃です)、近くにワイルド・オーツ(今は、ホールフーズに吸収されましたが)のお店ができて、オーガニックのミルクが入手しやすくなったんです。値段もそれほどかわらないし、ちょっといいじゃん、くらいの軽い気持ちで、そちらを買っていて、数ヶ月後。。。うっかりミルクを切らしているのに気づいて、でも、ワイルド・オーツまで買いにいくのは面倒で、近くのスーパーで、以前買っていた普通のミルクを買ったことがあるんです。

ゴクッと一口飲んで、、、思わず、吐き出しそうになりました。汗臭いような、何ともいえない、イヤーな匂いと味。こんなものを、以前は、喜んで飲んでいたのか、と、愕然としたものです。

だから、特に子どもに対しては、食材も、味付けも、出来るだけいろいろなものを、与えてみるのがいいんでしょう。(親が嫌いなものも含めて)それも一回でなく。成長につれて、味の好みとか、変わるかもしれないから。ウソとか、ごまかしとか、あるいは「これはからだにいいんだから、食べなさい」というようなお説教なしで、ごく普通に出せばいいんじゃないかな。

まとめ
  1. 食べる人の「知る権利」を尊重し、食べ物のことで、ウソをつくのはやめましょう。場合によっては、過失致死罪になります。そうでない場合でも、信用を失います。一緒に食事してくれる友達もなくすかも。
  2. 食べ物の好き嫌いがあって困ることは、まず、ないです。(私見では、食べ物に限らず、ものごとの好き嫌いがあることはむしろ自然で、好き嫌いがないというひとはつきあいづらいです。大抵は、ウソですから)
  3. 2の例外は、子どもを軍隊などのような、全体主義的な組織に送り込みたい場合だけでしょう。21世紀の一般社会は、もっと、個人の好みを尊重するものだ、と思いたいです。
  4. 特に、子どもには、いろいろな食べ物を与えて、本人が適切な選択をする手助けをしてあげようよ。自分が嫌いなものでも、子どもは好きかもしれないし。一見、同じようなものでも、通常農法の作物とオーガニックのもの、みたいに、違う場合もあるし。
  5. 強要するよりはましでしょうが、「これは、からだにいいから」とかいって、食べ物を勧めるのも、要注意な気がします。頭のいい子なら、おとなが「ためになるから」というものほど、つまらない、ということくらい、気づいているでしょうから。子どもに野菜嫌いが多いのは、必ずしも、味覚の問題だけではない気がします。
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6 件のコメント:

  1. ハンニバル強子2012年11月12日 20:16

    なるほど。そういう考え方もありますね。ある意味、目からうろこ。なんだかそこまで言われると、逆にすっきりするくらい分かった気持ちになります。

    うちの場合、選択があったら、ジャンクに言ってしまう子がいるんです。所謂食べず嫌いは食べないことには何も分からないですよね?食べてどうしても駄目だったら仕方がないと思うのですが、大概の物が生で別な形で食べれるくせに、できれば避けたいってのはマア、強制までしませんけど、色々食べ物を楽しんで欲しいだけなんですけどねえ。強制はしてないんです。嫌いになってしまうと思うので。

    でも、うーん、とっても刺激のある記事でした。ありがとうございました。

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  2. そうそう、強制したり、だますより、素直においしいものを出すのが、利口だと思います。ジャンクよりおいしいもの、作ってあげてください。

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  3. はは、私のことを言われちゃったかと冷や汗が出ました。
    先日夫の嫌いなアンチョビをベースに入れたパスタを出しましたが、夫は全く気付かず、旨いといって完食しました(どこにアンチョビの味がするのか私にもさっぱり分からない料理でしたが)。

    夫は夫の好みや好き嫌いを気にせず好きに作るように私に言い、試して口に合わなければ別の物を買ってくるなりして食べて良いというルールで長年やっていて、口に合わなければ夫は食べないので気にしてませんでしたが、いきなりあの話だけを読まれたら、びっくりされたかもしれないですね(ちなみに夫はアレルギーに全く無縁で、他所様にこんなことをしたことはもちろんございません(笑))。

    アケミさんをさらにびっくりさせてしまうかもしれませんが、もし自分が、苦手なものが入っていることを知らされずに美味しくいただけたなら、個人的にはそれは喜ばしいことです。
    私は、大方の皆さんが美味しいと思えるものなら食べられるようになりたいという食い意地がかなり張ってるようです(^^;

    20才前までは、ナス、セロリ、オクラ、ゴーヤ、ワサビ、山椒、柚子、シラントロ、他にもできれば遠慮したい食べ物は山のようにありましたが、今はこれらは全部美味しいです。
    自分の味覚はいくらでも変わるのだという発見は楽しいですし、これからも新たに美味しく感じられる味はまだまだあるはずだ、と思ってます。
    数年前にも、やっとビーツの美味しさが分かりました。
    大根はずっと苦手で、20才過ぎて生の大根料理は好物になりましたが、煮た大根もいつかは?と思い、40余年、目の前にあれば食べてます(^^;

    こんなことはもちろん他者に強要はしませんが、子供の舌のみにに関して言えば、幼い味覚は未発達かつ本能的で、苦い=毒かもしれない、酸っぱい=腐っているかもしれない、甘い=食べて安全という本能的な反応のために好き嫌いが多くなって偏るそうで、でも、味覚がさらに発達するのは小学校高学年~中学辺りの頃で、その頃に苦手な味を一切避けて、食べても大丈夫な酸味や苦味を学習しなかった場合味覚が発達せず、先の年齢に過ぎてからでは発達しないので、とりあえず苦手でも一口くらいは食べといた方がいい、ということらしいです。(余談ですが、NHKでやっていましたが、食物アレルギーを治すにも、医師の指導のもとに、アレルゲンの食物を微量食べ、量を増やしていくことで完全に克服できる、という新治療が注目されているそうです。)

    でもアケミさんからすると、そうなって良しか否かも、個人の自由であるべきとされるのかもしれないですね(^^; 
    ごめんなさい、私は好き嫌いに関してはアケミさんとはかなり真逆な立ち位置にいるようなので、こんなこと書いたらアケミさんの気分を害してしまうかなあと思いつつですが、こんなこと考えてる奴もいるのかマッタク、という程度に軽く受け取っていただければ幸いです(^^; 
    長文ですみません、おじゃましました。

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  4. いえ、prunus さん、自主的にいろいろなものを食べられるようにするのは大賛成ですし、子どもに、いろいろな選択を与えるのも、(記事にも書きましたが)大切だと思います。わたしの書き方が未熟なんでしょうね、実際は、prunus さんとわたしと、考え方は似ていると思いますよ。

    ご主人様が、特にアレルギーとかないとわかっていて、しかも、本人が、なんでも作って出してくれていいから、といっているんですから、どんどん出していいんだと思います。わたしが読んだケースは、本人が普段から、○○は食べたくない、といっているのに、それをごまかそうとしているわけですから、全然別のケースです。

    味覚に限りませんが、新しいものにすぐ興味を持つタイプと、保守的に、知っているものしか受け入れようとしないタイプと、あると思います。それぞれ、一長一短あって、わたしは、前者であるために、それなりに苦労もしたし、たたかれましたが、おもしろいこともあったわけで、それは自分の生き方としてオーケーなんです。ただ、保守タイプの人に、その人の生き方を変えなさいとは、いわないでしょうね。本人が望むまでは、いってもムダでしょうから。強いていうと、新しいものを取り入れたから、こんなにおもしろいんだよ、というところを見せて(これ、特に、子どもが相手のときは大切な気がする)、本人の気が変わるのを促すくらいで。

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  5. なるほど、アケミさんのポイントは、嫌いなものでも食べるように強要するとか、嫌いな食べ物がそこに入ってないと偽って食べさせることに問題があるということですね(すみません、私の読解力が足りませんでした。今度は合ってるでしょうか(^^;)。

    既に大人になってる他人に好き嫌いがあることを批判したりというのはやはりよろしくないですよね。
    私は、好きに作ってOK、それを食べない選択肢はくれ、というルールから、時々自分の食べたいものを出してしまいますが(納豆とかはさすがに出しませんが)、中身を伝えなかったのは、長年の馴れ合いでいつの間にか相手への尊重が欠けてきたような気がして、ハッとなりました(おかげで気付けました、ありがとうございました)。

    >新しいものにすぐ興味を持つタイプと、保守的に、知っているものしか受け入れようとしないタイプと、あると思います。それぞれ、一長一短あって、わたしは、前者であるために

    アケミさんは食生活を改善されようとたくさんの努力やリサーチをなさっている方だから、きっと今まで色んな味にチャレンジされたはずと想像していたのですが、やはり、アケミさんご自身は色々新しいものを楽しんでいらして、でも、それが出来ない他人がいても、それについてはどうこうするな、ということなんですね(^^

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  6. そうなんですよ。そのへんのポイントが、もっときちんと伝わるように、記事を少し手直ししてみました。
    好き嫌いの問題、特に食べ物の好き嫌いの話は、感情的になりやすいですよね、いい意味でも、悪い意味でも。だから、感情的に近しい人、つまり家族とかとは、冷静に話し合うのが、結構大変だったりします。感情的に自立していないと、自分の好きな物を嫌いだといわれただけで、自分自身の存在価値を否定されたように感じるようです。だから、嫌いだというのも、気を使います。まあ、こういうことも、だんだん、変わっていくでしょうが。

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